Thursday, May 28, 2015

アーメンといった責任を取る祈り

いのちのことばをしっかり握って、
彼らの間で世の光として輝くためです。
そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、
苦労したこともむだではなかったことを、
キリストの日に誇ることができます。
ピリピ2:15
全ての論争が、お互いをますます、頑なに受けつけない状態に固まらせてしまうでしょう。
けれども、どちらかが、ほんの一言、「あなたの言う通りにしてみましょう」と言うならそれは、そんな固い論争を包むこんでしまいます。
あなたのプライドや居心地の悪さというものを、愛を造りだすために、あなたの結婚に投資として投げこむのです。
「バカみたい、コントロールを失ってまけたのね。」そう思いますか。
もし、あなたが耳を貸さない頑固者でい続けとしたら、その方がよっぽど、あなたが心配しているその状態です。
大切なパートナーや結婚そのものを、論争となっている問題とひきかえにしようとしているのです。
感情のコントロールを失い、相手と自分を傷つけることこそが負けなのです。
The Love Dare より
アーメンです。
「アーメン」ということに、神さまは、今まで一度も私に責任を迫ってきたことはありません。
けれども、この文章に「アーメン」ということほど、絶望的に、言うのは簡単だけど実践するのは難しいなっと思うことはないと思います。
それでも、私は、顔をあげて、「アーメン!」と言いたいです。
神さま、どうぞ、私たちの固い心を、あなたの温かでやさしい、聖なる光の中で溶かしてください。
あなたが十字架の上で流された血潮は私たちのそんな頑なさのためであったことを、思い出せるようにしてください。
愛している時も憎んでいる時も、やさしい時も怒っている時も、同意している時も反対している時も、決してそのことを忘れませんように。
でも、きっと私は忘れてしまうでしょう。
神さま、お願です。
どうか、そんな時には私にふれ、目覚めさせてください。
イエスさまのお名前によって感謝してお祈りします。
アーメン
ブログランキングに参加しています
クリックで応援してください

人気ブログランキングへ