Tuesday, May 26, 2015

stubbornness vs willing

キリストは、神の御姿であられる方なのに、
神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
ピリピ2:6
頑固であることは、いつも悪いというわけではありません。
私たちには立ち上がる値打ちのあることもあります。
優先すべきこと、モラル、神への従順を貫くための努力をするべきです。
けれども、私たちは、ささいなことで、頻繁に議論しすぎてしまうのです。
壁の色、どこのレストランに行くか。
もちろん、もっと大切なこともあるでしょう。
子どものことにもっと心を配ろうと考え、片方はそうは考えなかったり、家族のための休暇をもっととろうと言い、片方はそうは思わなかったり、子どもをホームスクールで育てようと考えても、片方はそれに賛成しなかったり、結婚カウンセラーに相談しようとか、もっと教会に関わりたいなどなど。
このようなことはきりがなく、尽きることもないでしょう。
私たちは決してこういう意味では、ひとつにはなれないのです。
かかとで地面を掘り続けるか、サイドブレーキを引いたまま運転しているか。
ここに、向こうに渡るためのただ一つの方法、ひとつの言葉、頑固さの反対を表す言葉があります。
WILLING、これが会話を通りぬけるために必要な心構えであり、協力の精神です。
The Love Dare より
私は頑固が服を着て歩いているようなモノかもしれません。
今まで、あまりそんなふうに思ったことはなかったけど。
だって、すぐにあきらめるし、投げ出しちゃうし、切っちゃうし。
でも、決して、それは納得ではなくて、willing でもありません。
私は、たくさんの聖書的結婚観について書かれた文章を好んで読んできたけれど、この本に書いていることは、今まであまり、日本語で書かれたり、読まれたりしていないことだと思います。
もしかしたら、散々言われてきていたのに、私には全く理解できていないのかもしれません。
love lets the other win、なんて言われちゃうと、がくっときます。
なんだそれっと思うのです。
今までの涙や怒りはどうなっちゃうのよって。
私たちには、ひとつの同じ敵がいる。
私たちには、本当に負かすべき、神に成り代って私たちをそそのかす敵がいる。
ただ、すでに勝利を得た、キリストに従いたいです。

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