Tuesday, December 20, 2016

詩篇 107篇

船に乗って海に出る者、大海であきないをする者、
彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。
主が命じてあらしを起こすと、
風が波を高くした。
彼らは天に上り、よみに下り、
そのたましいはみじめにも、溶け去った。
彼らは酔った人のようによろめき、
ふらついて分別が乱れた。
この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
主は彼らを苦悩から連れ出された。
主があらしを静めると、波はないだ。
波がないだので彼らは喜んだ。
そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
詩篇 107:23~30
つい、夕べはなと一緒に観にいった映画、『MOANA』を思い浮かべてしまいました。
映画の中でも、海がまるで生き物であるかのように、描かれていました。
27節、「彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた」。
ここが人の運命の分岐点であるような気がします。
よろめくこと、ふらつくこと、分別が乱れることは仕方なくって、誰にでもあるし、私の分別なんてほとんで乱れっぱなしだけど、でも、そんなぐちゃぐちゃな中でも、「主に叫ぼう」と力をふりしぼる時、主は必ず、応えてくださる、なんらかの形で救ってくださる、そう思います。
私が毎日、祈っていることのひとつに、「どうか今日、お兄ちゃんがあなたに向かって、叫ぶことができますように」というのがあります。
その後、「その時、主よ、どうか、あなたが素早く彼に応えてください」と続きます。
私は、決してあきらめません。
必ず届くと信じて祈っています。