Friday, December 2, 2016

詩篇 19篇

だれが自分の数々のあやまちを
悟ることができましょう。
どうか、隠れている私の罪をお赦しください。
あなたのしもべを、
高慢の罪から守ってください。
詩篇 19:12,13
14節、私の口のことばと、私の思いとが御前に、受け入れられますように。
わが岩、わが贖い主、主よ。
アーメンです。
昨日、お皿を洗ってくれてた賢人の横で、小さく証をしたのだけど、日本語という言語を取られたとしても、私を知って、私を好きになってくれて、一緒に仕事をするのが楽しいと思ってもらえることはとても幸せです。
私のもともとの人格や私のクリスチャニティ、私の経験が、今の私を構成しているわけだけど、それが、日本語言語を使わずに受け入れられるか、そうではなく、いろいろと誤解をされて情けない思いをするのか、やってみなければわかりませんでした。
少なくとも、賢人は、それを一番心配してくれていたから、そっと小さく証してみたのです。
「よかった」と言いました。
私もよかったと思います。
一歩踏み出してよかった。
踏み出さなかったら、私は私が作った安全地帯でそこを守る人になっていたかもしれません。
安全地帯から家族やほんのわずかに影響をできる人々に対して、傲慢になっていくだけの人になっていたかもしれない。