Thursday, December 22, 2016

詩篇 116篇

まことに、
あなたは私のたましいを死から、
私の目を涙から、
私の足をつまずきから救い出されました。
私は、生ける者の地で、
主の御前を進もう。
詩篇 116:8,9
神さまの憐れみって、どんな時に、一番よくわかるでしょうか。
神さまに愛されている実感って、どんな時に、一番伝わってくるでしょうか。
いろいろあると思います。
たくさんの証があると思います。
私はね、書くのちょっと恥ずかしいけど、でももう『おはようスポルジョン』の読者にはバレバレの周知の事実と思うのであえてきっぱり書くなら、それは何を隠そう、罪を犯した後。
どうしても、ぴったりとこない気分や、不安、御心との矛盾の中で苦しむ時、私は、自分の間違っていることに気づいて、それを正さなければ・・・、すごく面倒だけど、と考えはじめます。
そこにすっとやってくる神さまの助けと後押しの果てに、私は救い出され、神さまの平安と臨在の内に引き戻され、「ああ、神さま、ありがとう」と思うのです。
全く、私は罪人の頭そのものです。
最近、気に入って Follow しているTwitter に、クリスチャン・ホームで育った子のつぶやきがあって、「アーメン」思いながら楽しく読んでいます。
彼のTweet に「劇的な証に憧れる」とか「聖餐式の餐という字が書けないとか」あって、飲んでるものを吹きそうほど、まるで、それ私。
戦争とか天災とか病気とか政治的な葛藤とか、そういう中からのドラマチックな証なんか、なんもないくせに、でも、気もち、めっちゃダビデで詩篇読んでいることを、実はちょっと恥ずかしいと思っているのです。