Thursday, May 11, 2017

使徒の働き 2章

ですから、
イスラエルのすべての人々は、
このことをはっきりと知らなければなりません。
すなわち、
神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、
あなたがたは十字架につけたのです。
使徒 2:36
再び、昨日書いた、士師記の11章、士師のひとり、エフタを題材にした説教の話に戻ります。
説教者は、このようにイエスを十字架につけたのは自分自身であるという自覚を持ち、そして、その打ちつけたハンマーが自分に返ってこなかったこと、報復、罰、責任を負わされたなかったことを知れば、世代から世代へと受け継ぐネガティブな連鎖は断ち切られるでしょうっと教えていた。
そして、これからの時代は、良い証や良い働き以上に、この不幸の連鎖を自分の代で終わらせるという決心が最も求められるとも記していました。
これは、私にとって、先週自分の教会で聞いた、ニュー・オリンズでの働きの証とも重なり、とても説得力のあるメッセージとなりました。
簡単なことではないと思います。
私が父と母から受けたものは良いものに満ちていた。
だから、私は、父と母を心から愛した。
父も母はいつも、私がどんな悪さをしても、赦し、信じようとしてくれた。
最後は私の信じる神を愛する決心さえしてくれた。
そんな私には、これを声を大きくして勧める資格はありません。
ただ、私も、報復をしないという選択は、毎日、毎日、チャレンジできると思う。