ですから、私はあなたがたに、
食事をとることを勧めます。
これであなたがたは助かることになるのです。
あなたがたの頭から髪一筋も失われることはありません。
使徒 27:34
こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝をささげてから、それを裂いて食べ始めた。(35節)
そこで一同も元気づけられ、みなが食事をとった。(36節)
暴風に翻弄され続け、ようやくマルタ島にたどりつこうというその直前の、囚人パウロのことばです。
私は、最近、聖書の中の「食べる」ということに関する記事がとても好きになりました。
毎朝、子どもたちと祈る、父と母のために祈りにも、「おじいちゃんとおばあちゃんが、今日もおいしいものを食べながら、神さまを賛美することができますように」と祈っています。
昨日、お買い物に付き合ってくれたお友だちを送って行くと、「残り物がいろいろあるから、ぜひよって一緒に食べて行ってくださいと」と言って食べさせてもらったお昼ご飯、とってもおいしかった。
イエスさまが共に座られるテーブルというのを、最近とても意識するようになりました。
素朴な糧がごちそうとなり、そしてそこに賛美と証があれば、それはもう小さな礼拝なのです。
例え、ふたりでも。