「金銀は私にはない。
しかし、私にあるものを上げよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」
と言って、彼の右手を取って立たせた。
するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、
おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出した。
使徒 3:6~8
次ぎの4章の13節に、「彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。」ともありました。
私も、お兄ちゃんに、「私にはお医者さんのような知恵もカウンセラーのような経験もない、でも、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、生きなさい」と言いたいです。
「美しい門」に座っていた男のように、求めてほしい。
ナザレのイエス・キリストが叩く戸の音が小さくて聞こえていないわけじゃない。
複雑にからまって、一枚の固い殻のようになってしまった感情の糸のドアを内側から開いてほしい。
そしたら、私は、「ナザレのイエス・キリストの名によって、生きなさい」と言うのに。