Monday, May 22, 2017

使徒 23章

その夜、主がパウロのそばに立って、
「勇気を出しなさい。
あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、
ローマでもあかししなければならない。」
と言われた。
使徒  23:11
「その夜」の、日がどんな日であったのかは、使徒の働きの21章と22章をじっくりと読んでもらいたいです。
パウロがどんな人であったのか、ここの箇所が最もそれを、よく現していると思う。
一言で言うと、育ちがよく、賢く、勘もよく、知恵に満ち、霊性に長け、そして勇気のある人でした。(ぜんぜん、一言じゃないし)
ギリシャ語で、「一言お話ししてもよいでしょうか。」と自分がどこの馬の骨ともわからないインチキ宗教家ではないことを、文字通り、一言で証し、緩んだすきにすかさずへブル語で、「兄弟たち」、と語りかけた(聖書には弁明とあるけれど)パウロが、大騒ぎの群集を一瞬で静める様子が目に浮かびます。
へブル語は、神の律法を読むための特別な言語のように人々は考えていたのかもしれません。
エルサレムの人々は、もうそれだけで、聞くに値する価値ある人と思ったに違いありません。
縛られれば、ローマの市民権を持って、それが違法であることを主張し、群集の中に二つの主義が混ざり合っていることをみてとれば、彼らに混乱を招いて、主のご用のために自分の命を長らえさせました。
神さまにもらった賜物を駆使し、霊を研ぎ澄ませ、全力で問題を解決する人、それが私の中のパウロです。
私は、よく教会で、礼拝を前に静かにピアノを弾きながら、その日の聖書箇所が彼の書いたことばであったなら、今日の説教者がもしパウロ本人だったら、私たちに、どんなメッセージをするだろうと考えます。
パウロ先生、私の胸を指さして、私の中の矛盾も、示してください、と祈りながら。