人々はこれを聞いて、
はらわたが煮え返る思いで、
ステパノに向かって歯ぎしりした。
しかし、聖霊に満たされていたステパノは、
天を見つめ、神の栄光と、
神の右に立っておられるイエスを見て、こう言った。
「見なさい。天が開けて、
人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」
使徒 7:54~56
7章はほとんど全てがステパノの弁明、ステパノの説教、ステパノのメッセージに終始し、そして、それは、何の説得にもならず、かえって、彼らの怒りの火に油を注ぐ結果となり、彼は殺されます。
ステパノが残したもの、ステパノが生きた意味は、「使徒の働き」の壮絶なひとつの章でした。
そして、8章で、ついに、サウロが登場し、いよいよ聖徒たちの働き、彼らが受ける迫害は激しくなってゆきます。
旧約の歴史の本当の意味を、ステパノはよく理解していました。
まるで、見てきたかのように。
まるでアブラハムや、ヨセフや、モーセが親戚のおじさんかなんかで、夏休みになると、彼らに預けられ、いろいろ教えられていたような話し方でした。
みことばを愛したステパノが、律法を愛さなかったはずはないのに、石打ちです。
そして、彼を石打ちとした律法学者たちは、この旧約の歴史を知らなかったはずはないのに石打ちです。
なんなんでしょう。
ステパノは、律法を愛するってどういうことかというメッセージを命がけで人類を残してくれました。
かっこよすぎ・・・。