なくなる食物のためではなく、
いつまでも保ち、
永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。
それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。
ヨハネ 6:27
去年の夏に幼稚園を退職した時、今度は、天国のためのワーカーになりたいって思いました。
そしたら、すぐに教会のチャイルド・ケアの仕事が与えられて、楽しく仕事をさせてもらえるようになりました。
お母さんたちに福音を聞いてもらう間、お母さんたちが聖書の学びをしている間、お母さんたちが教会のことで大切な話し合いをしている間、その子どもたちを楽しく遊ばせる仕事です。
午後は、ピアノのレッスンがちらほら入ってきていたから、のんびりだけど、庭仕事もできたし、はなの習い事にもとことんつきあえたし、夫も、私の作る晩ごはんを喜んで食べてくれるようになってきていたので、満足できるようにと祈りはじめたところでした。
つい最近ね。
でも、心の奥では、もっともっとできるとずっと思っていて、何かをとってももてあましていた。
時間じゃなくて、エネルギーでもなくて、愛でもなくて、なんだか自分でもよくわかりません。
それで、そのもっともっとの部分に焦りを感じないように、せっせとY に通って、祈りながら泳いだりして。
あれは一体なんだったのだろうって、今朝、考えてみました。
恐れ多いけど、もしかしたら、それをパッションと言うのかな。
先週の礼拝メッセージのタイトルは「キリストのパッション」だったのです。