Wednesday, May 10, 2017

断ち切られた連鎖

★おはよう。
5月も半ばに入ろうというのに、なんだか肌寒い朝です。
今日は、大好きな水曜日。
車のない日。
家にこもって仕事し、歩いてY に行く日。
今週も、今日は礼拝賛美の選曲をしてすごします。
久しぶりの旧約からのメッセージなので楽しみです。
いくつかの Eメールも書きます。
それから、自宅のピアノレッスンもあります。
たっぷり時間があると思っていると、あっという間にはなのお迎え、その後に続くバレエの時間になってしまう日でもあるので、心して集中して取り組みます。
★夕べ、士師記の士師のひとり、エフタについての説教を読みながら寝ました。
士師記11章、あの、主に誓願を立てて、ひとり娘を生贄にしてしまった父親の悲しい物語です。
銃と重荷を代わりに背負うイエスさま
1節に「彼は遊女の子であった」とあり、そして2節には、「あなたはほかの女の子(ども)だから、私たちの父の家を受け継いではいけない」ともあり、この人は、子としても不幸であった、というところから、説教は始まっていました。
でも、説教者の論点は、「だから仕方ない」ではなく、「連鎖は断ち切れたはずだ」というものでした。
心からアーメンと思います。
昨日、私は、プールで泳ぎながら、はじめて、本気で、自分の「怒り」というものと向き合い、それを悔い改めるということをしてみました。
一番の犠牲者は小学生だった賢人だったと思います。
賢人からはじまり、私は、自分か傷つけた自覚のある、全ての人の名前をあげて、その人の癒しとまた赦しを乞い、そして私自身の傷も主にゆだねることで祈りを閉じました。
賢人は、怒りやすい私から怒りやすい人として育てられたでしょうか。
いいえ。
あの子は連鎖を断ち切る生き方を選んだのだと思います。
主が、あの子にそれをさせてくださった。
もうすぐ20歳になります。