Thursday, April 13, 2017

マルコの福音書 1章

会堂に汚れた霊につかれた人がいて、
叫んで言った。
「ナザレの子イエス。
いったい私たちに何をしようというのです。
あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。
私はあなたがどなたかを知っています。
神の聖者です。」
マルコ 1:24
25節と26節、イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。
すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
汚れた霊につかれた人はひとり、でも、言うことは「私たち」だったり「私」だったり。
彼はイエスが誰だか、よく知っていた。
そんな霊はキリストの教会によく出没する。
まるで、ゆがんだ愛でキリストを愛しているかのように。
昔、久留米のとあるキリストの教会に行った時のこと。
すばらしい福音のコンサート、賛美の集会の終りに、グループのリーダーが、救いの招きをしました。
数人の人が、立ち上がって御座に近づき、キリストを受け入れる祈りをしました。
私、コンサートが終わって、会堂を出る時に、その内のお一人をみかけたので、「おめでとうございます。すばらしい瞬間に一緒にいられてうれしいです。」と声をかけました。
そしたらその人、60代ぐらいの男性だったけど、とっても奇妙な笑顔で、「もう、これでかれこれ、○○回目、次はどこで救われようかな~、ここも2回め、10年ぐらい前に1回きたから」と、記念のCDをうれしそうに、ウチワのように振って言いました。
2桁のびっくりするぐらい大きな数字だったけど、回数は覚えていません。
私、凍りついて、会堂を出てゆく人の流れの中でひとり、立ち止まってしまいました。
今でも、時々彼のことを思い出します。