Thursday, April 6, 2017

マタイの福音書 12章

人の子は安息日の主です。
マタイ 12:9
キリストが、安息日、そのものという意味なのでしょうか。
全ての活動を休んで、主の前に憩うことは、縛られてやることではないけれど、日々の天からの贈物や恵みに感謝しながら、新たに力をいただく日、安息日は、クリスチャンの必須だと私は思っています。
後ろから付き添う母の
黒いバッグがかわいい
ある程度は意志の行為であるべきって。
最初から、他のこととは比べないというか。
でも、そうでも、同じく12章の31節、「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。」とあるように、誰かが何かの事情でその日、がむしゃらに善いことのために、必死になったとしても、それはそんな形の礼拝行為ということも、また知っておかなくてはいけないと思う。
お兄ちゃんが、昨日、無事大学病院を退院して、リハビリのための病院に入院したようです。
これを、日本語で転院というようです。
私の異常に語彙の狭いコンピューターもこの言葉を知っていました。
転院という言葉にはちょっと悲しい響きがあるけれど、天の国への道筋なのでしょう。
新しい病院での日々、毎日が安息日、毎日が礼拝、そうなれるように続けて共にお祈りください。