Monday, April 10, 2017

マタイの福音書 24章

この天地は滅び去ります。
しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
マタイ 24:35
そして27節、「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつこられるか、知らないからです。」
23章のイエスが指摘する、わざわい、たくさんの忌まわしいものを、心を痛めずに読めるクリスチャンは、そうはいないと思う。
みんな、どんな人も、クリスチャンなら、心のどこかで、主の災いにならないように気をつけようと、思いながら読むのだと思う。
私もそう。
ただ、ただ、主のわざわいにだけは、なりたくない。
昨日、インターネットで聞いていたメッセージに、「傷のない者を癒そうとするな」というどっきりするフレーズがありました。
マルチン・ルターの考えで、ジョン・ウェスレーもよくそう教えていたそうです。
夕べの、現在を生きる説教者は、それは福音の安売りだとも言っていました。
もっと、言えば、それは宗教改革以前の免罪符(だっけ?)を売ることになりかねないというニュアンスです。
自分の教会での礼拝のメッセージとも、重なって、考えさせられるものがありました。
私たちは、知らず知らずのうちに主の災いになりかねない、いつも、その線の上をうろいろとする可能性のある者、という意識は、毎日必要と思う。
これから、ノン・クリスチャンたちとのバイブル・スタディに行っていきます。
そのことを、肝に銘じ、主に、与えてくださる人々の魂のニーズのわかる感性を祈り求めつつ。