わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために
目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、
私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、
私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、
そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、
世よにわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、
心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
権力ある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に
語られたとおりです。
ルカ 1:47~56
若干13歳だったといわれてる女の子の祈りです。
ダビデの家系のヨセフの婚約者です。
マリアは旧約の時代のサムエルの母のハンナのことを教えられていて、彼女の祈りを知っていたのだと思います。
普通の人生を歩んだとしても、こんな祈りが、何かの拍子にすぐに口から出てくるような女の子になってほしいと願いをこめて、Hannah にという名まえを娘につけました。
一言で言うと、この祈りは「高ぶって、多くを語ってはなりません。」(Ⅰサムエル2:3)に要約できると思う。
Let it be、とその一言を言うことができますようにって。
どのようなことも神のお許しの中で起きていて、神を信じている自分にとっては最善であると知ること、そして祈ること。
そして、Let it be って言って前に進んで行くこと。
どのようなことも神のお許しの中で起きていて、神を信じている自分にとっては最善であると知ること、そして祈ること。
そして、Let it be って言って前に進んで行くこと。