誘惑に陥らないように、
目をさまして、
祈っていなさい。
心は燃えていても、肉体は弱いのです。
マタイ 26:41
お弟子たちに、そう、言い残し、イエスは、43節、「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりになさってください。」と祈ります。
私は、もちろん、肉体も弱いけれど、心もとても弱い。
せっかく悔い改めて、きれいになった心に、一息つき、ふっと気づくと、前より、たくさんの招かれざるお客が、大宴会をしているという、情けないことがよくあるのです。
誘惑というのは、たとえ、身体が元気でも、心が元気でも、たえず、人を取り囲み、その心を狙っていると思う。
しかも、身体と心が元気な時の誘惑は、傲慢という名の、C.S.ルイスの言うところの、悪の中の悪、最悪な悪に導きかねない誘惑なのです・・・。
身体の調子が悪かったり、問題を抱えていたり、失敗の後の挫折感のつらさは知っているけれど、でも、何もかもが順調な時の誘惑と罪とその結果ほど、つらく悲しいものはありません。
それは、臨在から切り離された孤独、この世界の地獄そのもの。
祈りながらの節約生活は、お金があっても、なくても、続けてゆきたい、生き方の習慣です。