Sunday, April 23, 2017

聖日の朝に考えたこと

おはよう。
気もちのいい聖日の朝です。
最初の記事を書いていて気づいたこと。
全てカラーの有名な絵画と新改訳のことばの
アート・バイブル
これは私にとって
すごく贅沢な買い物だったと思う
この家は誰の家か、という素朴な質問の答えが、自分が拝する者の正体だと思う。
いろんな家があるでしょ。
自分の家、家族の家、親の家、物の家、そして神の家。
大きな家なのに入るだけのものを詰め込み、並べ、積み上げ、その谷間で暮らしているとしたら、それは、物を拝する人の家。
その物が、過去の思い出の品だったら、過去の思い出を拝し仕える人の家。
その物が、自分のお洋服だったら、お洋服を拝しお洋服に仕える人の家。
スケートボードやレゴ(これ賢人ね)、バッグと靴(これはなね)、本(私)、食べ物(夫はそんなに食べないのに、なぜか買ってくるのが好き)、いろんなものが危なかしく、拝せよ、拝め、仕えよ、握りしめよ、抱きしめよ、手放すなって、家の中で言っている気がする。
それが、不用品だったりなんかしたら、それは不用品とその奴隷の家。