タンクトップに麦藁帽子という、ニッポンの1950年代の少年スタイルで、一日中庭仕事に励んでおりました。
パスポートのアプライ?リニュー?、そのことばの違いがよくわかんないけど、に必死な賢人をちらちらと横目に。
19歳の頃の私って、何ができて、何ができなかったのだろう。
もう、遠い昔すぎて思い出せません。
あっちに聞き、こっちに聞き、あれをし、これをし、しているけど、なかなか前に進まない様子。
2箇所のポスト・オフィスを回り、がっかりして帰ってきました。
写真も、出生証明書も、運転免許書も、期限切れパスポートも、申請書類も、全て整っているのに、なんで?、って思うけど、聞けば、一触触発的に、怒りを生む可能性があるので、黙ってみてみぬふり。
途中で、一度つかまえて、側に座らせて、一緒に祈りました。
ナスタチュームの種蒔き中。
「パスポートぐらい、祈ってもらわなくても、だいじょうぶ」という顔だったけど、でもこれまで、母の「祈りましょう」の一言に逆らったことのない賢人は、ふう~っと、息を吐きながら、しぶしぶ座ってくれた。
ここ、賢人の一番いいところ。
「神さま、あなたのみことばの種を蒔こうという、宣教の旅だもの、そりゃあ、敵のアタックは、パスポートの申請のところから、全力でしょう。
けれども、これは、あなたのご計画だから、どんな障害をも、あなたは、必ず乗り越えさせてくださいます。
神さま、本当にありがとう。
賢人の日本への一歩、一歩にあなたの守りがあることを、賢人が決して忘れませんように。」
そして、賢人は、「ありがとう」とちょっと気が抜けた顔で立ち上がりました。
がんばれ、賢人。